不登校の娘、無事中学校を卒業しました

不登校

中学校で長期間不登校だった娘が先日無事卒業の日を迎えました。卒業式に参加するかどうか、そして当日をどのように過ごしたか。その思いを綴りたいと思います。

卒業式への思い

卒業式は、多くの人にとって重要な節目です。学校に通えず学校での思い出がほとんどない不登校の子にとっても、この瞬間は一区切りとなり、自身の成長や努力を振り返る機会となります。

もちろん親の私たちにとっても、3年間を支えてくださった先生方にとっても、巣立っていく生徒一人一人に対して様々な思いがあり、それは感謝と希望に満ちた日であり、参加する全ての人々にとって心に残る1日となります。

卒業式の参加の選択肢

中学卒業式が近づくと、担任から「卒業式に参加するかどうか」の問いがありました。娘は長い間不登校で、学校に通えていなかったためこの選択は重大でした。卒業アルバムについては不要だという決断を下したところでしたが、(→不登校の子供たちの卒業アルバムどうする問題の記事はこちら)ついに最後の大きな大きな決断の時がきてしまいました。

担任から提案された方法は3つでした。

  1. 式典の参加について:2週間ほど前から始まった卒業式の練習に参加していないので、式典中、大勢のクラスメイトと一緒に席について一緒に行動するのは難しいのではないか。起立・着席が多く体調の心配、また、最後に舞台に移動して3年生全体で卒業合唱を行うと。その練習もしていないので参加は難しいのではないか。それであれば、当日は、体育館の二階席に保護者と一緒に娘が座り、式典に観覧という形の参加はどうか。
  2. 教室での最後のホームルームだけの参加はどうか:式典の参加は難しくても、式典後教室で最後のホームルームをすると。マンモス校のため、式典ではクラス全員の呼名はあるけれど、証書を受け取るのはクラス代表者のみで、式後のホームルームで担任から個々一人一人に証書を渡すことになっていると。最後のホームルームだけでも来てみませんか。
  3. 午後からの個別の卒業式:午後から、ほかの卒業生が誰もいなくなったころ、校長室または教室で個別の簡易的な卒業式をするので午後から来ませんか。午前の式典の参加がどうしても難しいようなら、頑張って午後から来てほしい。
  4. それでもどうしても学校に来るのが難しい場合:担任が直接卒業証書を自宅に届けに行きます。無理にとは言わないので娘の当日の体調と気持ちを尊重してくれたら良いと。ですが、ほかの先生も娘の卒業する姿を見たい、最後に会いたいと言っている。と伝えてくれました。

娘は、起立性調節障害の症状がひどく、午前に参加すること自体がまずハードルが高かったのですが、娘は最後だから頑張ると。気持ちはありました。ですが、やはり体調面と練習不足が高いハードルとなり、みんなの中に入るのもとても難しいと判断したようで、しばらく考えたのち、最終的に午後からの卒業式に参加することに決めました

中学校卒業式の頃の桜

娘が欠席を決めた午前の卒業式

時代ですね。当日ビデオ撮影隊が入ることになりました。DVDなどに残して後日購入ということではありません。YouTubeライブ配信(限定配信)だということです。

コロナ禍だった時、式典に参加できるのは一家族2名までと制限された名残のまま、定員で入れない祖父母や遠方の親せきなどのため、当日どうしても仕事で参加できない保護者のため、卒業式をYouTubeでライブ配信(URLを知っている人のみ見れる限定配信)を執り行うとのことでした。

「当日、自宅からでも式の様子が見れますから、よかったら見てください」と言われました。それを聞いた時、とても複雑な気持ちでした。娘が参加しないと決断した式典の様子が自宅から見れてしまうのです。複雑すぎませんか…。式が終わっても当日見れなかったとしても、1週間ほどは見れるとのことです。

娘の名前は式典で呼んでいただいたようです。呼名されても起立しなかったので欠席だということは参列者に伝わったことでしょう。不登校の保護者で、わざわざ呼名しないでくれという保護者もいるというのは聞きました。私たち家族の判断は、娘は欠席続きではありましたがクラスメイトには違いないので式典で呼んでもらってよいと。正直のところ、どちらでもいいと思いました。

娘はODの症状が、卒業式のプレッシャーからか当日とくに酷く、式典の時間には起きてはきませんでした。なんだか気持ちがわかりました。私自身もそわそわしながらも、「式典が早く終わってほしい」そんな気持ちで過ごしました。

中学校卒業式の様子

午後から参加した卒業式のこと

午後、卒業式後の写真撮影やお友達や先生との別れを惜しむ生徒さんたち、保護者たちが帰った頃、娘と2人学校に向かいました。娘が久しぶりに袖を通す制服姿はとても懐かしく、遠い昔の記憶が戻ってきたようで、学校に向かう車の中でタイムスリップしたようなそんな感覚に陥りました。

何度この道を娘と通っただろう。職員室に声をかけ、教室に行けない娘の背中をさすりながら保健室まで付き添い、今日は下駄箱まで、今日は階段まで。登校するまでに数時間かかったのに着いたら10分で帰るといった日もありました。テストを受けるために保健室の衝立の奥に隠れるように座ったり、気分が悪いと保健室にさえ入れなかったり。お友達に誘われ部活動に入った1か月。夕方、暗い時間に体操服姿の娘を迎えに行きよく頑張ったねと一緒に帰った日。

遅刻が日に日に増えてきて、送迎するも車からも降りれなくなって行き、休み時間の同級生の声で足がすくむようになっていき、しまいには制服を着ることさえなくなっていきました。そして、朝、起きてくることさえ。

いつぶりだろう学校に来たのは。心の奥底に封印していた様々な記憶が蘇ってきました。

それもこれもいろいろあったけど、今日で最後なんだなと。よし!!という気持ちで学校につきました。

卒業式の花束の写真

玄関に袴姿の煌びやかに着飾った担任の先生が待ってくれていました。娘を見るなり、「よく来てくれたね。」と声をかけてくれました。足早に教室の方に案内されました。校長先生、教頭先生、学年主任、1年の時の担任の先生が待機していてくれました。正直そこまでしてもらえると思っていなくてかえってガチガチに緊張してしまいました。

学年主任の先生から、さぁさぁと急かされ席に案内されました。教頭先生の「開式の辞!」から始まり、呼名、そして校長から直接証書を受け取りました。その後、校長から娘宛てに式辞までいただき、「閉式の辞!」まで。なんとしっかりと格式張ったミニ卒業式をしてくださったのです。大変驚きましたが、皆と同じ事が出来なかった不登校の子供を適当にしない生徒の一人と扱ってくれた事に感無量でした。

娘は少し戸惑っているような恥ずかしい様な表情をしていたのが印象的でした。その後、担任を残して皆さん職員室に戻って行かれました。担任先生と言葉を交わし、卒業黒板アートの前で写真を数枚撮って、娘の中学校の卒業式はようやく終わりました。

子どもの自己決定を受け入れてよかった

不登校の子どもの卒業式に関して、一番重要なのは式典に出席するかどうかということではなく、どうしたいかを「子どもに自己決定させること」だったんだなと私は思いました。

「最後の区切りだから」「最後くらいは皆と一緒に」というのはきっと大人の理屈です。結果的に当日欠席を決めたのは、娘にとっても家族にとっても良かったと思います。無理をさせなくて本当に良かった。先生方には時間外に大変お手間を取らせてしまいましたが、アットホームなミニ卒業式を開いていただきとても感謝しています。最後まで彼女が選んだ道を尊重していただき、親子で義務教育終了という、一区切りをつけることができました。

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