不登校の始まり③
娘は、2年の時からたまに学童保育を行き渋るようになり、小学校3年のあるきっかけを境に教室に一切入れなくなりました。
適応障害・母子分離不安・社交不安症・場面緘黙症と診断された娘には、付き添い登校をとても長くしていました。その頃の事を思い出しながら書いてみようと思います。
(不登校の始まり①はこちらから )
(不登校の始まり②はこちらから )
職場に遅刻するようになってしまった
その頃、私は毎日のように職場にギリギリに出社するようになっていました。まだパート入社してまもなくで、下っ端だった私がギリギリに出社なんて、とても申し訳なく「すみません!」と頭を下げる日々でした。
職場で仕事の準備をしながら「あぁなんとか間に合って良かった〜」と思って平静を装っていました。
数日そんな事を繰り返していたある日、娘が、頑張って登校してみたものの「学校がやっぱりつらい、お母さんがなかなか迎えに来ない」という事に気付きはじめました。
母子分離できないほど不安になってしまった
玄関での行き渋りをなんとか説得し、学校についても車から降りないのをなんとか説得し、やっと保健室までやってきたのに、保健室に着いても入室しようとしなくなってしまったのです。先生がおいで、ここ座って良いよと優しく言っても、私から離れようとしないのです。
正直、これには驚き、参りました。
ここまできて…どうして???
昨日まで保健室入れたじゃない!と、困りました。手を振り払って、引き離して行こうとしました。
でも追いかけてくるのです。困りました。
仕事の始業時間がギリギリです。
ぁぁ。ここから40分の職場、間に合わない、遅刻だ…
会社に電話しました。
「子供が体調不良で、今学校連れてきたところで。すみません。少し遅れます!!」
職場でのきつい一言
何度か連続でそんな事があり、これ以上、体調不良と言い続けるのは無理だなと思いました。
職場に遅刻の電話をする際に、意を決して本当のことを伝える事にしました。
「実は子供が学校を行き渋っていて、学校に付き添い登校しているのですが、なかなか離れるのが難しくて。」
我慢していた気持ちや、仕事に間に合わない焦りや、人数の少ない職場に迷惑をかけている申し訳なさなど、色んな感情が一気に吹き出し、気づけば涙を流しながら電話していました。
そしたら「気にしなくていいよ、出て来れらる時間で大丈夫だから。子供さんについててあげて。」と、電話口ではそう言われました。
その日、保健室でうまく離れることができ、会社に30分遅れでなんとか出勤しました。
そしたら上司から「大変だね子供さん。」
「私なら無理矢理でも行かせるよ。」
「子供が学校行かないとか言い出したら、何を甘えてるんだー!と怒るね。。」
「うちなら引きずってでも連れて行くね。」
「こうした方がいいんじゃない?」
「このまま学校行かなくなったらどうするの?」
「癖になると困るね〜。」
などと、苦笑いしながら言ってきました。
「あぁ、まぁ。そうですよね…すみません」と愛想笑いしながら、こぼれそうな涙をこらえるので精いっぱいでした。
胸がドクンドクンいって仕事どころじゃなく正直言ってきつかったです。
職場に行くのが限界に
毎日、朝からうずくまる娘を起こす所からの苛立ちや、登校班に間に合う間に合わないの焦りや、
玄関ドアの前でのやりとり、
学校になんとか連れて行き、今度は車から降りない子供をなんとか保健室まで。
会社に間に合うか、間に合わないかギリギリの出勤、会社での嫌味。
もぅ心が限界にきていました。
その生活を知らない人からの
きつい言葉…
本当に傷つきました。
わかってる、悪気があって言ってるのではないと。でも、全部やってるけど行けない
もぅ限界なんだ。
娘も私も。