不登校は“不登校を選んだ子にしかできない経験をしている”と思えた日

不登校

はじめまして。中高生の子どもを育てている40代の母です。うちは子どもが2人とも不登校の時期があって、その頃は毎日モヤモヤしていました。

「なんでうちだけ…」と思い悩む日もあれば、「いや、子どもが穏やかならこれでいいのかな…」と自分に言い聞かせる日もあって。

今日は、そんな私がふと気づけたことを、同じように悩むお母さんお父さんにそっと書いてみようと思います。

その子なりの選択かもしれない

学校に行くことができず立ち止まるって、やろうと思っても誰にでもできることではない。もしかしたらこの子なりの“自分を守るための究極の選択”なのかもしれない。

行き渋りが始まった最初の頃は、原因も分からず私も必死でした。正直、「どうにかして学校に戻さなきゃ」と思っていたんです。怒ったり、急かしたりして。

でも、子どもの様子を見ていると、ただ怠けているとか、逃げているとか、そういう雰囲気ではなくて。ただ毎朝なにかと戦うかのようにうずくまっている。“行かなきゃという気持ちはあるのに、身体がついていかない”そんな感じでした。

そんな日が何日も何日も続いて、「あ、この子は毎朝心の中で葛藤していて、精一杯なんだな…」と思うようになっていきました。

無理やり行きたくない場所に引きずって連れていくこと、それはやってはいけない事。この子の心を否定する事なんじゃないかと思い始めました。何より私自身が子どもの辛そうな顔をみるのがとても苦しくて。

そのうち、「立ち止まることにも意味があるのかもしれない」って、少しだけ思えるようになったんです。

たぶん、この時間って誰でもが経験できるものじゃなくて、不登校を経験した子だからこそ見えてくるものがあるんじゃないかな…と。

まだ私も何かの確信があるわけじゃありません。でも、そう思えたことで少しだけ肩の力が抜けました。

親が“あきらめる”って、実は安心につながるのかも

学校に行かせることを「あきらめる」って言葉、最初はすごく抵抗がありました。あきらめるなんて、なんだか冷たいような気もして…。

でも、“学校に戻ること”を強く目標にしていたのは、本人ではなくどちらかというと私の側だったのかもしれない。子どもの気持ちなんかより、世間体や自分の不安を減らすために行動させようとしていたんじゃないかなって。

それに気づいて、ある日ふと「今日はここまでできたからOK!行けないなら行けないで、それでもいいよ」と言ってみたんです。この子の心の葛藤を受け入れて、そこまでできたことを認め、ほめました。

すると、子どもの表情が少し明るく柔らかくなったように見えて。ほっとしたんでしょうか。

“あきらめる”って、見放すんじゃなくて、“いまの子どもをそのまま受け入れる”っていうことなのかもしれません。

私自身、まだ完全にはできていないけれど、そんな姿勢を少しずつ練習しているところです。

不登校の朝の行き渋りを励ます母親の写真

不登校の時間も、その子の「根っこ」を育てていると思いたい

不登校の渦中にいると、やっぱり不安になりますよね。私もよく「このままで、この子は将来どうなるんだろう…」と考えていました(今も時々あります)。

でも、立ち止まっている時間の中で、子どもなりに感じていることや、気づいていることがきっとあって。何も考えてないわけではないと思うんです。この先、どれくらい時間がかかるかわからない。でも、この経験は、いつかその子の“強さの根っこ”みたいなものにつながるんじゃないかと、今はそんなふうに思うようになりました。

悩みながらでも、迷いながらでも、私たち親子は今日もなんとかここまできました。毎日、自分のできる範囲で自分のペースで、頑張って生きています。どうか皆さんも無理をしすぎず、一緒にゆっくり歩いていきましょうね。

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