不登校の始まり①娘

不登校

不登校の始まり①

娘は、小学校2年の時からたまに学童保育を行き渋るようになり、小学校3年のあるきっかけを境に教室に一切入れなくなりました。
適応障害・母子分離不安・社交不安症・場面緘黙症と診断された娘には、付き添い登校をとても長くしていました。その頃の事を思い出しながら書いてみようと思います。

小学校2年の時・学童に行きたくない

娘は2年生の終わり頃から、学童保育に行き渋りだしました。その頃、学校には問題なく通っていましたが、学童保育に行きたくないから学校に行きたくないと言ったりして、行き渋る事が時々増えてきました。

学童保育の先生に相談しても、
お母さん心配しすぎですよ、子供は来てしまえばケロッとしているもんです。お母さんの心配が子供に伝わるので、どーんと構えておいてください!」と言われました。
ケロッと?どーんと…?学童の行き渋りは私のせいなんでしょうか。

休んだ夕方、学校の担任にその事を話すと「学校ではお友達と楽しくしているし、学童に一緒に行ったりしていて特に気になることはない」と。
今度、スクールカウンセラーの先生が来られるから相談してみないかと言われました。スクールカウンセラー、なるほど受けてみようと思いました。

不登校の始まりの頃、行きたくないといった通っていた学童保育のイメージ写真

初めてスクールカウンセラーと面談の日

カウンセリングの日、女性の落ち着いた方でした。
今までの様子を話すと、
「お子さんは学童でとても緊張して過ごしているのではないか」と言われました。だからとても疲れるのではないか。

そういえば…
1年の夏、学童に入って少し経った頃、学童の先生に、「娘ちゃんの声を全く聞いた事がないんです〜とてもおとなしいんですね…」と言われた事があった。「恥ずかしがりなんです。」と返事した記憶が。
仕事が5時までだったので、学童に預かってもらうのも1時間半ほどの事で、娘を迎えに行って車に乗ると、今日あったことを沢山おしゃべりしてくれるので、変な事を言うなぁとその時は思っていた。

場面緘黙症かもと指摘された

その話をカウンセラーに話すと、
もしかしたら『場面緘黙症』が少しあるかもしれないねと言われた。初めて聞く名前だった。
「ばめんかんもくしょう?」
家や慣れた人の前では普通に話せるのに、特定の場所、特定の人以外の場所で話せなくなり、ひどいと緘動といって全く動けなくなる子も居るんですよと。学童保育という、新しい環境や、慣れない場所でとても緊張してしまい発症したのではないかと。

担任に聞いた時はお友達も居てクラスではニコニコと楽しくおしゃべりしていますと伝えはしたものの…。1年の夏から入った学童保育が話せない場所になっていた?

何が何だかわからなくなっていた私に、カウンセラーは「とにかく無理させない事、行きたくないと言った気持ちを聞いてあげて。もし、行き渋りがひどくなったらまた考えましょうと。」
その日のカウンセリングは終了した。

不登校の始まりの頃、始めて面談したスクールカウンセラーのイメージ写真

その後2年生の学校生活

2年生の時は、そこそこ頑張って学校生活を送れていました。ニコニコ優しい担任(男性)のおかげもあったかと思います。
対策になってるかは分かりませんでしたが、学童保育に関しては、私が早く終わった日はすぐに迎えに行き、あまり利用しないようにしました。

②へつづく

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