思春期の不登校に寄り添いながら
はじめまして。中高生の不登校の子どもを育てている40代の母です。
わが家では、子どもが不登校になってからというもの、部屋で静かに過ごす時間が長くなりました。外から見れば、まるで時間が止まっているように見えるでしょう…。
「このままで本当に大丈夫なんだろうか」と、私は毎日不安な気持ちで揺れていました。
でも最近、ゆっくりですが、違う見え方ができるようになってきました。
今日はそんな気づきを、同じように悩む方へそっと書いてみます。
不登校の子どもは、何もしていないように見えて苦しかった
子どもが一日中ベッドで寝ていたり、動画を見ていたりすると、どうしても「何もしていないように見える」んですよね。
私も最初の頃は、
「この子の頭の中は動いているのかな」
「ずっと怠けているんじゃないか」
そんなことを思ってしまった日もありました。
でも最近、思春期という時期は、“心の内側がいちばん忙しい時期”なのかもしれないとつくづく感じています。
本人は何も語らなくても、きっと心の中ではいろいろ考えているんですよね。
「自分は何者なんだろう」
「この先どう生きていけばいいんだろう」
そんな大人でも答えが出ないテーマを、まだ半分子どもで半分大人の子たちが必死に抱えている。
だから外側は止まっているように見えても、内側ではすごいスピードで動いているのかもしれない——
最近は、そんなふうに思うようになりました。
「親として何かしなきゃ」が、苦しくなっていた
正直、私は長い間、
「親として何もしてあげられていない」
「ダメな母親だ」
そんな気持ちを抱えていました。
焦って外に連れ出そうとしたこともあります。
でも、そのたびに子どもを余計にしんどくさせてしまって…。
ある日ふと、
「私がなんとか“動かさなきゃ”と焦ることで、子どもの内側の動きを邪魔していたのかもしれない」そう感じたんです。
もちろん、今も正解なんて分かりません。
それでも、子どもが自分のペースで考える時間には、きっと意味があるんですよね。
だから最近は、
「親は隣の部屋で普通に暮らしているだけでもいいのかも」
そう自分に言い聞かせながら、ゆるく寄り添っています。
本当にこれでいいのか、不安になる日は今でもあります。
でも、家の空気は前より少し穏やかになりました。

焦らず一緒に生きる時間にも、ちゃんと意味がある
以前の私は、毎日が“学校へ戻すための時間”のようになっていました。
でも今は、
「今日を一緒に過ごせたら、それでいい」
そう思える日が増えてきました。
子どもが笑ったら嬉しいし、ちょっとした会話ができたら安心するし、
なにより「今日は穏やかだったな」と思えるとき、
それだけで十分価値のある一日だったなぁと感じます。
止まっているように見える時間でも、子どもはきっと内側で何かを育てている。
親の私たちは、その芽を無理に引っぱるのではなく、ただ隣で見守るくらいでいいのかもしれません。
同じように悩んでいる親御さんへ。
子どもが止まって見える時間は、親にとってもとても苦しいですよね。
迷いながらでも、焦りながらでも、毎日子どものそばにいることは、簡単なことではないと思います。
それでも、今日を一緒に過ごしていること自体に、きっと意味があるのだと思います。
私もまだ迷いながらですが、同じように悩む方に静かにエールを送りたいと思います。
